官兵衛の兜がなぜ盛岡に?
岩手県に住んでいながら郷土の歴史は薄っすら知る程度。人生も3分の2くらいは終わっている年頃。有名な歴史上偉人英雄については多少知っていても『さて地元は?』と聞かれても良くわかりません。
そこで訪ねたのが『もりおか歴史文化館』入館料は300円とリーズナブルですが展示物を見ればコスパは素晴らしいです。
ここには黒田官兵衛の兜が展示されています。なぜ官兵衛の兜があるのでしょうか?大河ドラマでは岡田准一さんがかぶっていた『おちょこ』を反対にした特徴ある兜。黒田家の家宝の中でも最重要であるはずの兜がなぜ?
現在と違ってそう簡単に行き来できる距離でもありません。盛岡藩と福岡藩今なら飛行機で2時間半くらいで行けますが、当時はひと月くらいかかったと思われます。
この兜のルーツが興味深いのでご紹介させて頂きます。
栗山大善
黒田騒動にて罪人となり盛岡へ
説明文写し
銀白檀塗合子形兜
黒田官兵衛所用/安土桃山時代
岩手県指定有形文化財
盛岡歴史文化館収蔵豊臣秀吉の全国統一にも貢献した、黒田官兵衛(孝高・如水)が用いた兜。官兵衛は家臣の栗山善助(利安)に、この兜を与えながら子の黒田長政の補佐を頼んだという。しかし子の栗山大善(利章)のとき、黒田騒動がおき、大善は南部家に『御預(事実上の流罪)』となった。その際この兜を盛岡まで持参し、のちに盛岡藩士となった子孫から南部家へ献上されたという。
栗山大善は黒田騒動にて盛岡藩預かりになりましたが、流罪でありながら150人扶持として盛岡藩は手厚く待遇しました。その後盛岡藩の文化発展に寄与されました。
嫡男の利周は黒田藩から招聘を受けましたが断り盛岡に定着。三男の利政は母姓である内山を名乗り200石取りの藩士となりました。
お殿様と当時の領民は面倒見がよかったかようです。
盛岡城模型
もりおか歴史文化館には盛岡城のミニチュアがあります。盛岡藩は維新において幕府方につき破れ、盛岡藩は賊軍となってしまいました。賊軍の汚名をきせられましたが、幕府の恩義に尽くした南部の殿様は立派だと思います。最近の人たちは損得と保身だけ?お城は老朽化していたため維新後解体したとか...。もし残っていたら夢があります。復元に向けた運動もあるようですが、全部とは言わないまでも一部でも復元できればと思っています。それよりも個人的には盛岡城跡公園にある南部利祥(としなが)さんの銅像を先に復元してほしいと思っているところです。
南部利祥も尊敬する義の人です。いつか紹介したいです。
☝平面図の所は資料が無いのかもしれません。
☝お殿様の立派な鎧兜です。向い鶴は南部さまの家紋です。南部家は現在46代当主様によって受け継がれています。
もりおか歴史文化館にはたくさんの南部家ゆかりの品々や、明治から大正時代の街並みを復元したもの。大正時代の盛岡の映像を見ることができます。1Fは無料展示でさんさ踊りやチャグチャグ馬ッコ。盛岡秋祭りの山車が展示されています。
☝休憩所から見える池も素敵です。
☝ちゃぐちゃぐ馬ッコは見てもらいたい岩手を代表するイベント
もりおか歴史文化館は盛岡城址公園の隣です。盛岡は素敵な町です是非お越しください。
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