後藤屋さま『麦つき節』①/③
きな粉と黒みつに包まれて
赤ちゃんのホッペのような白玉粉を使った柔らかい生地に香りの良いくるみが入っています。タップリのきな粉を塗し更に濃厚な黒みつ…ぽよん!っとした食感が癖になります。この組み合わせド真ん中のストラ~イク!外れる訳はありません。休日の午前7時過ぎ、朝ごはんを食べてもまだぼぉ~っとしている脳の細胞を一気に目覚めさせてくれる美味しさ、甘さも黒砂糖ベースの優しい味、きな粉が全体を包み込んで深い味わいがあります。
☝きな粉の量がこれでもか!っていうくらい入っています。たまりません!
麦つき節…?
水沢地方で古くからうたわれている唄から名づけられています。
後藤屋さんのしおりには次のように書かれています。麦つき節を読むと、昔の農家さんの暮らしが目に浮かびます。単調な作業を如何に楽しく効率的に進めるか?歌は欠かせないアイテムだったと想像します。
※胆沢地方(水沢のあたり)
胆沢地方に行われている麦つきの起源は、元禄時代からと言っている人もありますが、正確なところは解っていません。
麦つき風習の無くなったのは大体明治十年頃から明治三十年頃であって、麦や米つきが水車という機械の力を用いるようになってからは、この風習は姿を消してゆきました。麦つきの行われる時期は大体田植過ぎからお盆過ぎまでで、夜麦つきと言って、夜についたものでありました。つく時は二人向かい合って麦つき節を歌いながら交互に杵を下してつくので、自然と面白い調子がとれて楽しく仕事ができるのであります。大きな旦那様の家では大勢の人で賑やかに麦つきで響き渡っていたことでしょう。
弊店は、右の由来する麦つき節を銘菓をとおして全国に紹介し御進物用各地お土産品として皆様より御好評を賜り広くその名声を博しつつあります。
後藤屋主人謹白
麦つき節
麦つきは楽だと思べが楽じゃない
何仕事 仕事に楽があればこそ
化粧板、小夜姫様の薬師堂
若いときは一度は御座れや願懸けに
夕べまで通った裏の細道を
今朝みれば七重に垣を結われたや
結わば結え七重も八重も九重も
結うたとて心に垣は結われまい
後藤屋様チラシより
☝結構な重量感があります。黒みつは別添、お皿に盛ってから蜜を掛けます。
創業76年水沢の老舗です
水沢の中心部に後藤屋様はあります。麦つき節の誕生は66年前、ほぼ後藤屋様と同じ歴史を持つ水沢を代表するお菓子です。12月6日にお店を訪ね、代表社員である後藤大助さんと暫しお話をさせて頂きました。熱心にお話を聞かせてくれる後藤さん、前代表社員であるお父様にお茶とお菓子を頂き楽しいお時間を頂きました。素敵なお菓子屋さん、またお伺いさせて頂きたくなりました。
そういえば、水沢から来るお客さんの手土産で何度も食べていました。
☝旧地名は大町と言って水沢の正面ある通りです。古くから中心地として商売が盛んな場所です。
後藤屋様、麦つき節美味しかったです。
ごちそうさまでした!
菓子処後藤屋本店様ご住所:奥州市水沢大町78
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