大沢菓子店:ソルトロード&盛岡タイムス連載1周年などなど…
野田村名産の『塩』なのです。
岩手県野田村にある、大沢菓子店さまのマドレーヌ『ソルトロード』を頂きました。
野田村名産品『のだ塩』を使った洋菓子です。一般的なマドレーヌより少し塩味が効いて、素材の風味を見事に引き立てています。小麦の味、卵の風味、生地のどっしりした、少し大人の味。とても充実した後味でスッキリした味わいです。全てを主役に引き立てるのはやはり『のだ塩)』の力ですね!。
☝のだ塩が全ての実力を発揮させています。
のだ塩って何?
昔から『のだ塩』の存在は知っていましたが、どういう塩なのかはあまり興味ありませんでした。数年前クッキーを作ることになり、特徴的な原料として地元名産品『のだ塩』使う事になり、それなりに調べてみました。正しい情報をお伝えしたいので、製造メーカーさんのホームページの内容を引用させて頂きます。
以下
さまのホームページより
野田村では江戸時代から塩作りが盛んでした。
製塩は「直煮(じきに)出し」という製法により作られていましたが、その作業は大変な重労動でした。
生産された塩は、北上山地を越えて雫石や盛岡近在に運ばれ、米、粟、そば、豆などの穀物と交換されていました。 この塩を運ぶ人々は、牛の背につけて運ぶことが多かったので「野田ベコ」と呼ばれ、この塩を運んだ道を「塩の道」と呼んでいます。
野田村のそちこちの古い峠道には、かつて「ベコ(牛)の道」と呼ばれた狭い山道が残っています。明治38年からは塩の専売制となります。 明治43年にはすべての製塩は廃止され、のだ塩は一旦途絶えてしまいますが、平成に入ってから村の青年部により村内のイベントで伝統的な時期に製塩を実演する活動が始まりました。
「ぜひ製品化してほしい」という多くの声があり、野田港に『のだ塩工房』を建設されます。
ついに本格的な「のだ塩」の商品化がスタートしました。
塩づくりは江戸時代に始まり、塩が専売制になったころに一旦途切れたようですね。
クッキーづくりにて『のだ塩』を使った時の印象は、味に厚みというか、深みが増す感じでした。塩そのものも、旨味というか味わい深いものです。個人的には焼肉屋さんへ持参してタンやホルモンに付けて食べています。
通販でも買えるようですので一度お試しください。
☝魔法のような『のだ塩』です
大沢菓子店さま、マドレーヌ・ソルトロード美味しかったです。
ごちそうさまでした!
大沢菓子店さまご紹介ページ
ご住所:岩手県野田村20-25-5
のり弁当最高!
昨日も『のり弁当』を食べてしまった。お昼ごはんはそばを食べているか、弁当を買って食べています。何十年も色んなお弁当を食べていますが、一番美味しく落ち着くのは『のり弁当』です。昨日は『ほか弁』のやつ。16歳の頃、高校近くにあったほか弁を食べ始め、大学生の頃は週に1回は必ず食べていました。コンビニにも『のり弁』はありますが、僕にとっては別物と感じます。『ほか弁』か、スーパーのお弁当コーナーで売っているものが今の2大お気に入り、昨日は『めんたい』をのせてもらい、タルタルを付けました。将来『死ぬ前に食べたいもの』をきかれたら、かなりの確率で『ほか弁ののり弁当』をリクエストします。
☝何度食べても飽きないのり弁です。
盛岡タイムス連載1周年です。
1月6日掲載:七福や『みそかまやき』
昨年1月から始まった盛岡タイムスの連載がちょうど一年になりました。2週間に一度というゆっくりしたペースながら良く続いたものです。
少しずつですが、お菓子屋さんに喜んでもらっているのが書き続けた原動力だと感じます。ご協力いただいた和菓子店さまには感謝しかありません。
モノ書きに関しては全くの素人なので当然原稿料は頂いていません。もし、少しでもギャラが発生していたら、怖くて書き続ける事は出来なかったと思います。この連載は、お菓子業界において、35年間お世話になった感謝の形であり、それに対するお礼なのです。
☝飽きっぽい僕ですが、何とか1年続けています。
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