🍵大福だんごお菓子な毎日🍵

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戸田久餅店さま:くるみゆべし

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主食のようなさり気ない美味しさ

 北国岩手も『暑い』です。

 クーラーが無くても平気だった時代ではなくなり、一日中クーラーが無ければ生活が儘ならない時代になりました。朝食から夕食まで、あっさりした冷たい麺類ばかりです。年齢的な衰えも当然ありますが、三度の食事が時に苦痛にすら感じるこの夏です。

 涼し気なお菓子を探して徘徊している今日この頃、盛岡市中心部にある『戸田久餅店』さんへ立ち寄りました。最近ハマっている抹茶のお菓子『抹茶大福』『くるみゆべし』を購入しました。くるみゆべしには、黒みつは入っていませんが、歯切れのよい食感は夏の暑さで消耗した体力を復活させてくれました。モチっとした食感と同時にサクッと切れる感じ。甘さより、黒さとうの美味しさが全体に染み渡り、みるみるうちに体力が改善される感じです。

 大ぶりなゆべしは、瞬殺でなくなりました。何となく目のカスミも無くなったような気がします。

盛岡を代表する餅だんご店、戸田久餅店さんには、モリオカらしい『べんざいもの』が数多く並んでいます。今度は何を食べようか…?、そんな楽しみに溢れた戸田久餅店さんのお店です。

☝パクパク食べられる黒糖の旨味が感じられる盛岡のゆべしです!

 

べんざいもの?

 明治の中頃まで、盛岡の物流は北上川を利用した船が主流だったとか...。京や江戸から来る品物を『弁財もの』と言い表したようで、その流れから、お菓子など盛岡では珍しいものを『べんじぇもの』と例えていたらしいです。その理屈からいえば、盛岡らしいお菓子も、もともと京や江戸から流れてきたのが根源だったかもしれません。江戸時代どころか、明治大正の頃まで、盛岡藩地域では冷害によって稲作は不安定な土地柄でした。旧伊達藩である県南の水沢や一関ではモチ料理の文化がひろがり、盛岡藩では、稗・粟・麦・蕎麦などの雑穀を素材とした文化が広がりました。神様へお供えする穀物も特徴があります。県内にはアイヌ語を源にする地域名があります。『佐比内(さひない)』や『安比(あっぴ)』がそうです。アイヌの神様が地上へ舞い降りる時に、自ら膝を刃物で切って、そこに稗の種を隠して地上へと舞い降りた…。なんて、ロマンある神話ですね。雑穀を用いた岩手のふるいお菓子の復活を最近考えています。さて、この行動が広まるかどうか…、色んな支障があると思いますが、やれることをやれば、和菓子の文化継承、未来への礎になると思うのです。その過程で、遮眼革(しゃがんかく)をつけた人たちに批判されても怖くはありません。

☝いつ食べても季節の変わり目でも美味しさがMAXなのです。流石老舗の味ですね。

 

戸田久餅店さま。

くるみゆべし美味しかったです!

ごちそうさまでした!

戸田久餅店さまご住所

 〒020-0015 岩手県盛岡市本町通1丁目9−43

 

還暦まえの仕事以外の目標

新しい仕事には夢しかないです。報酬は無くても充実した毎日が朝から晩まで続くのです。さて、何故前職が詰らなかったのか…?その理由はあえて書く必要はないけれど、しいて言えば、私自身そのものに揺るぎない芯が無かったからだと確信しています。私が得意なのは、歴史小説を根源にした、食べ物に関する逸話…。つい最近暇なので軽い気持ちでセンター試験の日本史過去問を解いてみた。結果は勿論悲惨なものでした。翌日書店で購入したのが下の漫画本。寝る前に数ページずつ読んでいます。なかなか面白く、この参考書や、youtubeが昭和58年当時にあったら、僕の受験風景は変っていたのかもしれません。今、受験本を読んで改めて思うことは、所詮東北のご先祖は蝦敵であること…。受験にて数百年前の事を掘り下げて答えると『×』回答でしかありません。でも、まずは時代の流れを読んで、過去の歴史小説と融合すれば、新しい私が生まれるような気がするのです。何歳まで生きるか私にも変わりませんが、折角高校時代の担任先生に力を貰い好きになった唯一の科目。日本史と和菓子の関係…、これが私のライフワークになりそうです。

今思えば、窮屈な日常から解放されて、新しい出会いや驚き感動に巡り合うのは必然だったのかもしれません。

☝こんな本が40年前にあれば…。あったとしても、当時の僕には響かないでしょうね!

 

 

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