🍵大福だんごお菓子な毎日🍵

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丸亀製菓さま:串だんご(しょうゆ)

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懐かしい味なのです!

 丸亀製菓さんは僕が生まれ育った町にある和菓子店です。7㌔くらい離れた同じ町内にあるショッピングセンターナックス内の『たもり』というスーパーでしょうゆだんご見つけ感激のあまり購入しました。

 小ぶりな4玉のおだんご、モチっとした歯ごたえのある食感が素敵で、舌ざわり歯ざわりともに最高です。ほんのり甘味を感じる醬油の味がとても美味しいです。地域の人たちには『かめしょう』という屋号で呼ばれ親しまれています。本店は志和(紫波町上平沢)というかつて活気があった商店街の中にありました。何度も食べた記憶はあるのですが味の記憶は消えてしまいました。お店の近所に住む知り合いの人は『昔なからの味…』と言っていたので、あの時食べた味はこれに違いありません。

 ショッピングセンターナックスさんは、少し遠回りすれば通勤途中にあるのでいつでも食べたいときに食べることができます。

 また楽しみが一つ増えました。

 

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☝タレの味もお醤油とお砂糖の加減丁度いいです。シコッとした生地に良く合います。

 

『志和のまち・かめしょうさん』

 小中学校の通学路、現在会社へ行く通勤路に『かめしょうさん(丸亀製菓)』があります。田舎の商店街は誰がどこの家の子どもなのか全てを把握しています。知らない人がその商店街に紛れ込むとほぼ高確率で『不審者扱い』になるのは、田舎町の『あるある』かもしれません。小学校低学年の頃は歩くのがゆっくりで、『かめしょう』さんの大奥様から『○○君はいつ学校へ着くのだろう...』と心配で家に電話が掛かってきたとか?。お小遣いを溜めて買い物へ行くと『大きなお金を持っていた…』と自宅へ連絡が入るほど町全体が緊密な連携を取っていました。そういえば小学校へ行く途中『かめしょう』さんのお店へ入り、お菓子を作っているところをジッと見ていた記憶があります。先代さんは既にお亡くなりになられていますが、現在ご子息様が頑張って毎日朝早くからお菓子を作っています。

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☝見た感じもとても格好が良いおだんごなのです。

 

『志和のまぢ(町)さ行ってくる』と子どもの頃出かけた賑やかな商店街、今では営業しているお店は数えるほどです。目を閉じるとかつての賑わいが浮かんで来ます。小さな商店が何軒もあり、呉服から家具、肉、魚などが豊富に並び、食堂も沢山ありました。映画館やパチンコ屋さん等の娯楽も一通りありました。秋祭りも賑やかで沢山の人が行き交っていました。志和の町が静かになったのは、主要道路が商店街から別なところに敷かれてから一気に静かになったような気がします。

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☝今は静かな志和の商店街、昔は沢山の人が歩いていました。奥に見える山は東根山です。

歴史ある志和のまち

 岩手県紫波郡紫波町上平沢...。江戸時代ここは南部藩でも岩手県の南部藩ではなく、八戸藩の飛び地で代官所が置かれていました。酒造りの技師である『南部杜氏』発祥の地ともいわれています。近くには東北三大稲荷の一つである『志和稲荷神社』があり、その隣には『志和古稲荷神社』があります。人の賑わいは無くなりましたが、今でもいい雰囲気を残している『志和のまち』です。

 まちの角には由緒ある志和八幡神社があり、八幡太郎義家(源義家)がこの神社で必勝祈願をしました。

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☝八戸藩志和代官所があった場所

八戸藩志和代官所由来(記載のまま写し)
 寛文四年(1664年)南部藩三代藩主山城の守重直が嗣子(世継ぎ)の決まる前に病死したため、裁断により、南部藩は八万石の盛岡藩と二万石の八戸藩に分割された。その時に後の上平沢・稲藤・土舘・片寄が八戸藩の飛地として編入された。この飛地を統治する役屋(役所)として設置されたのが志和代官所であった。
 代官所は正面に役屋(役所)を構え、その裏側に米倉と銭倉があった。代官は二人制で輪番に勤務し、二、三名の下役と若干の帳付・目明・定番などと呼ばれた人々が配置されていた。初代の代官は、神 太郎右衛門と池田 新八郎であった。それ以来歳月を重ねて二百余年、この間に歴任した代官は百二十余人に及んだが、明治維新の制度改正に伴って明治八年に
八戸藩志和出張所。その後、弘前県紫波出張所、青森県紫波出張所と名称の香変更が行われ、明治五年三月一日をもって廃止されるに至った。

 

平成三十一年三月 紫波町教育委員会

 

 

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☝八幡太郎義家(源義家)ゆかりの志和八幡宮。1000年以上の歴史があります。

志和八幡宮由緒
 志和に鎮座の八幡宮の祭神は誉田別命、武甕槌命にして、清和天皇の貞観四年(八六三年)八月に山城国(現在京都)男山八幡宮を観請されたものであると伝えられている。
 そもそも八幡宮は源氏累世の氏神として康平五年(一〇六二年)鎮守府将軍頼朝臣長男八幡太郎義家が奥誅伐のため、志和の陣を発するにあたり、志和八幡宮に戦勝を祈願したところ、”白鳩舞い遊ぶを見る” 戦、利あらず苦戦の時、その白鳩再び飛び来ると見るうちに、忽ち暴風起り。賊城中より煙焔立ちのぼるを見る、その時鬨の声をあげて攻めたて、ついに賊を平定、当地方を安住の地としたと伝えられている。
また、代々南部藩主の崇敬篤く、慶弔年間利直公より 杞(木へんに巳)田四十三石四斗一升の寄進がなされた。
 毎年正月五日、義家の戦勝、報恩感謝のため、夜明けに大篝火を焚上げ、御観日、五元日祭、が今日まで盛大に祝われている。
 志和八幡宮の祭神は武勇の神であると共に平和の神、家内安全、商売繁盛、無病息災、交通安全の神としてあがめられている以所でもある。

 

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☝八戸藩志和代官所跡地に立つ南部杜氏の碑。南部杜氏は全国にその名を知られています。

 

志和の町を流れる滝名川を辿っていけば山王海ダムがあります。ここにはかつて山王海村があり、言い伝えでは源氏・平家・新田義貞の落人であると語り継がれています。

ダムの底に沈む前は山王海は炭焼きの産地として知る人ぞ知る土地でした。炭焼き技術をもたらした。その技術は広島出身の楢崎圭三によってもたらされ、その碑は同町内片寄にある山祇神社の中にあります。山祇神社もダムの底に沈んた際に片寄へ移転しました。山王海の村人の多くも同じ片寄の地に今でも代々暮らしています。

 

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☝山王海ダムは小学校の遠足で行くところ、歩いて行きました。昔の遠足ってそんなものです。

 

だんごと共に地域の歴史を振り返る

 志和のまちの『かめしょう』さん。これからも昔ながらの味を届けて欲しいと願います。生まれ育った町の史跡などをお団子を持ってゆっくり歩いて回るのも悪くはありません。八戸藩の代官所が置かれていた志和地区。僕の祖先は南部盛岡藩ではなく、南部八戸藩の住民だったようです。何故志和が八戸藩なのか?1664年南部藩南部重直が没後盛岡藩と八戸藩を分立した際に稲作地帯であった志和(土舘・片寄・稲藤・上平沢)を八戸藩の飛び地としたようです。僕の想像ですが、八戸でもお米は取れましたが、豊富に取れるようになったのは品種改良が進み耐寒品種ができるようになったずっと後のことなので志和地区が八戸藩主食の重要地帯だったのでは…?と考えます。かめしょうさんのおだんごをブログにてご紹介させて頂くにあたり、色々と調べてみるのも楽しいです。いろんな意味でかめしょうさんをはじめ、これ迄書かせて頂いたお菓子に感謝です。

 

かめしょうさん、しょうゆだんごおいしかったです!

ごちそうさまでした!

 

 

盛岡南ショッピングセンターナックス・『フレッシュたもり』

紫波郡紫波町桜町1丁目12-1

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