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松田屋さん:醬油だんご

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すきだなぁ~この味

南大通にある松田屋さんへ久しぶりにお邪魔しました。明治21年創業というお老舗は、何を食べても美味いのです。しょうゆだんごは、前回も購入した盛岡人に愛されている正統派。まず!、お醤油の味に、うるち米のうま味が溶け込んでいる、歯応えが『ぎょろん』として『ムキムキI』なのは、砂糖不使用の証。今日はウイスキーハイボールの気分だったけど、近くにある日本酒の『冷』と一緒に味わいたくなる松田屋さん渾身のおだんごでした!。日本の伝統食、米から作られるだんごと、日本酒の融合は最高ですね!

☝醤油だけでテリテリツヤツヤは丁寧な仕事の証です。

 

 

松田屋さんを掘り下げてみる妄想ですが…

 南大通りという現町名。昔は川原町と書いて『かわらまぢ』と岩手弁で言っていたとのこと。お店の裏には川が流れ、旧盛岡藩時代には物流の動脈だったことがわかります。川の周辺には、お殿様と一緒に盛岡へ来た近江出身の商人(あきんど)が、店(たな)を構え、酒造りから衣類、文具、材木等々の新しい文化を盛岡へもたらしました。盛岡の経済人のルーツは近江商人なのです。そういえば『三方よし』という、近江商人商人道があって、それが在来盛岡人と時を置かず、融合できたわけだったのかもしれません。『売り手によし、買い手によし、世間によし』。今でいうWIN・WIN+WINの関係ですね。話が逸れますが、京都商人と、近江商人とは表面的に敵対関係があって、よくケンカの中で『琵琶湖の水とめたろぅか!』となります。若いころ、京都人と滋賀県人の喧嘩をハラハラしながら見ていましたが、後から聞けば、お約束の流れだったとか...。南部盛岡藩にとって、近江商人は、欠かせない地域発展の礎となっているのは、今も昔も変わりません。明治維新の時にも、盛岡藩にとどまり維新政府による不当な言いがかりにも、主君(南部藩主)への恩義を忘れず、岩手の経済の多くを支えてくれたのは、地域に根付いた近江出身の商人だと思います。松田屋さんのツールが近江なのか?今日もまた聞き忘れましたが、ご先祖のどこかで、近江にルーツのある菓子職人さんの下で学んだ可能性はあると思います。

おだんごをアテにちびちび酒を飲みながら、勝手に松田屋さんの歴史物語を妄想しています。そんな妄想も、真夜中の田舎の楽しみのひとつですね。

☝盛岡の和菓子の火を灯し続けて欲しいとおもいます。

 

松田屋さま、

しょうゆだんご美味しかったです。

ごちそうさまでした!